シナリオとゲームマスター論

この記事は久々に新しいゲームのシナリオ作成とゲームマスター(以下GM)をして、

「これってこういう事じゃね?」と思ったことの記録であり、

今後、経験を通して容易に変化しうるものであることをお断りしておく。

また、他の人のマスタリングにケチを付けたい訳ではない。何か反論がある場合は是非コメントを寄せていただきたい。

 

2011年だかに購入した「クトゥルフ神話TRPG」のルールブックが長らく放置されており、「ひとつ遊んでみなければなるまい」という気持ちは長らくあった。

私は、GMは割とやっている方で、シナリオもそこそこ書く方だが、

実は剣と魔法のファンタジーRPGばかりで、現実世界に近いゲーム、それもダンジョンの無い会話中心の推理ものなんて書ける気が一切しなかった。

そして、気持ちはあるものの放置という非常に勿体ない時間が過ぎて行った。

 

しかし、シナリオの書き方は、他のシナリオを見て真似したらいいじゃない、事故ったら事故ったでいいじゃないという気持ちになり、「引き出しの中身」さんのシナリオを読みあさり、なんとかシナリオを書いた。

コンプリート・シャーロック・ホームズさんを3周読んだ後だったので、どうしてもビクトリア朝時代のイギリスでRPGをやりたくなり、1890年代に設定。場所もイギリスで書いた。

 

で、セッションをやった。

セッションは1日、5時間程度で終わる予定だったが、2回に分けて、6時間程度で終了した。

概ね面白いセッションになったなと思ってはいる。

 

全く新しいゲームを遊ぶことで、今まで慣れてしまっていて、忘れていたことが思い出された気がするので書き連ねて行く。

 

まず、セッション全体の面白さの度合いについて。

GMの役目としての比重は、進行6割、シナリオ4割という気がした。

完成されたシナリオは勿論あれば越した事はないけれど、

シナリオに依存しすぎるのは危険で、プレイヤーたちを見ながらシナリオの良い方向へと改変してやるのが良いと思った。

進行6割については、TRPGが面白いのは、会話でどんどん場面が進み、状況が変化していくことにあると思うので、シナリオに固執して状況が変化しないよりも、プレイヤーたちへとアクションを促すような状況をGM側から提示してやると良いんじゃないかと思った。

というのも、GMが思いがちな「できる事を制限して、シナリオに無理矢理当てはめてしまうマスタリングはやめよう、自由にやらせよう。」と思うあまり、できる事が多くなりすぎてプレイヤーが決断できない。

目指すべきところを見失ってしまうという進行に1回目で陥ったからだ。

情報収集に関係ない情報をもっともらしく設定して話し、関係がある情報じゃないかとプレイヤーが思ってしまうということがあった。

(ちなみに私は過去に同じ間違いをしていたことを思い出した。)

設定があり、世界が見え、生きている人々がいると思えるのはRPGの虚構の世界を本物の世界らしく思わせる良いところだけれど、やりすぎると発散し収拾できなくなる。

2回目からは情報の制限を行い、与えられるべき情報と不要な情報を分けることでプレイヤーが迷いすぎないようになんとかできたと思う。「調べたが、めぼしい情報は得られなかった。」「行ったが何も無かった。」「君の経験ではそちらには何も無いと思う。」という台詞は便利なので使うべし。

プレイヤーのやりたい事を認めるというのは、良いと思う。上記のように、「やったけど、ダメだったよ。」という反応のがプレイヤーとしては納得いく。GMが考えて、「それで上手く行く」と思った行動はどんどん認めて行くべきだとは思っている。そこらへんはGMの想像力次第だから、がんばらにゃなあと。

 

進行その2は世界での規範を適用してあげること。

プレイヤーキャラクターをついお目こぼししてしまう場面がいままでそこそこあったので、ダメなところはしっかりペナルティにすると良いと思いました。

 

シナリオ編

シナリオは、なるべく創造の余地があることと、大切な骨子は崩さないことが大事だと思った。

ガチガチに設定や、行動を決めてしまって、プレイヤーが行き詰まったところでフォローが入れられないとGMが自縄自縛しないような心がけが必要だなと。ある程度は自由にNPCや世界を動かしてプレイヤーに行動を促してあげるのがいいんじゃないかなと思う。

そして、ある程度の自由をして、基本の骨子(シナリオのオチ、終着点、動機)などがブレてしまわないことは意識すること。

つじつまが合わないと、途中が面白くても人間は引っかかりを感じるもので、面白かったけど納得いかないと言われることに。

最後くらいスカッと終わらせてあげるのが良い。

そして、シナリオ作成で大切なのはやはり「王道たれ」ということだと思う。

GMをやっていると自分がシナリオを書くので、「このくらいの簡単な推理はすぐにされてしまうんじゃあ。」とか、「もっとひねった方が面白いんじゃ。」と思ってくるのですが、プレイヤーはシナリオは読めないので、状況から推理していくしかなくなる。

で、勿論どんでん返しで真犯人みたいなのも面白いとは思うが、状況から先に進んで行くようなタイプのシナリオは、ひねってわからなくなると状況の進行がストップしてしまう。

王道であるということは、万人が納得できる推理ができる、先が予想できるということは、コレは当事者としては面白いという感覚につながる。

王道も沢山あるので、沢山ある王道の中から、シナリオが目指している王道を探すだけでも推理としては面白いタネになるので、安心して王道を書くべきだと思う。

「コイツがあやしいよ。」という情報は惜しまず出し、演出してやるべきだ。

どんなにあからさまに怪しくても、プレイヤーってギリギリまで疑うもんです。

 

今回はこんなところです。あとで「やっぱりアレは間違いだった」とかあるかも知れませんが、その時は都度記事を書こうと思います。

クトゥルフ神話RPGのセッションはシナリオがめちゃ難しいけれど、面白かったですね。

でも、ビクトリア朝という時代設定は分かってる人がセッションに入ってくれる分には良いかもしれないけど、やっぱり感覚が掴みにくいみたいで、やるなら現代日本のシナリオを組むのが良いと思う。現実世界の延長だと想像しやすいのでプレイヤーもプレイに専念しやすいんじゃないかと思った。